母の家まで六百五十歩春の雨
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春 |
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評 言 |
掲句は平成15年の作。この句から集名を「母の家」としている。作者は新興俳句作家の横山白虹、房子の四女として生まれ、そして、10才から俳句を始めたという。両親から、俳句の影響を受けていることは充分推測できる。白虹は昭和58年に亡くなっているのであるが、句集のあとがきに「母の家の近くに住むようになって20年近く、折々に通う六百五十歩の距離」とある。スープの冷めぬ距離に住まうことが、親子関係を良好にするコツといわれてきた。その距離を具体的に六百五十歩と言ったところに句の新鮮味があり、雨の日も通う母思いの作者に、親近感を覚えるのである。 母の庭の母の知らざる古巣かな 通い慣れた母の庭に、母が知らない古巣を作者は知っているという。母の家が自分の古巣であると言っているようでもある。 さらに、平成17年の句に次がある。 昨日来て今日来て母の庭の梅 実梅数えて数え直して母の家 一句目からは、いかに作者が母上を気遣って頻繁に通っておられたかが伝わってくる。二句目は収穫した梅を数えていたお二人がしかも、数え直したという。母娘の笑い声でも聞こえそうな温かい雰囲気が読者を和ませてくれる。 勿論、句集には新興俳句の血を受け継いでいると思われる句や、文学性の窺える句、全国各地への旅吟があり、その中に母の句が散りばめられている。母の句といえば甘いと思われるが、先輩俳人としての母を尊敬し、高齢になられた母を愛おしめばこそ、集名を自分の拠り所の「母の家」としたのであろう。 その母上は句集上木後、平成19年92才で亡くなられた。 写真:荒川健一 |
評 者 |
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備 考 |
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