死の謎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/26 04:42 UTC 版)
「マリー・フォン・ヴェッツェラ」の記事における「死の謎」の解説
2人の死の知らせがホーフブルク宮殿に届いたとき、誰もが皇帝にこのことを知らせる勇気がなかった。エリーザベト皇后が、ノプクサ男爵からこのことを知らされているところに、皇帝が妻に会いにやってきた。彼は妻の部屋に入ったときに、一体息子たちに何があったのか知らないままだったのである。 すぐにエリーザベトは、皇帝を慰めるためカタリーナ・シュラットを呼び、次女マリー・ヴァレリーを呼びにやった。マリー・ヴァレリーは兄が死んだことを知らされると、「自殺したの?」と尋ねた。しかしエリーザベトは、自殺を猛烈に否定した。彼女は、マリーがルドルフに毒を飲ませ、自分も毒をあおったと話したようであった。悲劇の24時間後、皇帝はルドルフが猟銃自殺したのだという驚くべきことを考えていた。公式発表では、ルドルフ皇太子は心臓疾患で亡くなったというものにされた。 事実は概略だけであり、1年以上整理されず靄に包まれた状態だった。マリーはルドルフに殺され、彼はその後自殺した。また、別の説では2人は互いに殺し合った。また、2人は別の誰かに殺された。マリーは死亡したときには妊娠していなかった、などと、諸説がそのままにされていたのだった。 検死の結果明らかになったのは、マリーはルドルフより数時間前には死んでいたということだった。このことは、彼がマリーを殺害した後自身が死ぬまで遺体のそばに座っていたことを意味した。一説では、ルドルフが自殺を図ったことを疑い、彼と情熱的に愛し合っていたマリーは生け贄にされたのではないかという。他には、マリーが流産のため死亡し、悲嘆に暮れた彼が後を追ったのではないかというものだった。一カ所から一発の弾痕が見つかり、目撃者にはマリーの頭部に弾の痕があったというものもあったが、遺体を見つけた混乱した状況から間違った観察をしたように思われた。 マリーの遺体は、マイヤーリンクではなくハイリゲンクロイツ(ニーダーエスターライヒ州の町)のシトー会派修道院に埋葬された。のち、無許可で墓を暴かれたことがあり、遺体は1993年10月に再度元の場所に埋葬された。事件の真相はいまも謎のままである。
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