死の覚悟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 06:13 UTC 版)
ふみ子の恋人、木野村英之介は再手術後、ふみ子は命がもう長くないことを自覚していたと語っている。同じ頃、幼馴染の友人は「頼みたいことがある」とふみ子に入院先の新津病院に呼ばれた。ふみ子からは特段の頼まれごとは無かった。その代わりふみ子は「離婚したこと、中絶したことが、乳癌の原因だったかもしれないわね」と語り、更に様々なことをお互い語り合い、もう長く生きられないことを感じ取っていたと証言している。 またふみ子は娘のおさがりを寄付しようとしたり、母の証言では身の回りを整理して古い手紙を燃やしたりしていた。1953年12月、小樽の妹夫婦宅に滞在しながら札幌医科大学付属病院に通院する列車車中から冬の石狩湾を見て、ふみ子は迫りくる死を前にして、残された己の人生、そして死を直視していく覚悟を詠んだ。 冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己の無惨を見むか
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