「正義」と「死の覚悟」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 00:22 UTC 版)
「ゴルギアス (対話篇)」の記事における「「正義」と「死の覚悟」」の解説
ソクラテスは、改めて、国家の世話をするには、「技術」で以て国民ができるだけ優れた人間になるようにするのがいいのか、それとも「迎合 (追従)」で以て召使のように彼らのご機嫌を取るのがいいか、問う。カリクレスは、後者(召使)を選び、そうしなければ、ソクラテスは死刑になると再度指摘しようとする。ソクラテスは、それではこれまでの議論をまた反復することになると指摘。 カリクレスは、ソクラテスは実際に自分がそんな目に遭うことを考えたりしないのか問う。ソクラテスは、当然考えているし、自分は現代のアテナイ人の中では唯一、真の意味での「政治の技術」「政治の仕事」に携わっていると思っており、「最善」を目的とし、「快楽」を目的としておらず、法廷においても、子供に対する医者のごとく、「迎合 (追従)」ではなく「忠告」を行わなければならない以上、死刑になっても少しも意外ではないと考えていると述べる。 カリクレスは、果たしてそのように自分自身を助けることもできない者が、一国の中で立派にやっているように思われるのか問う。ソクラテスは、人々に対しても、神々に対しても、不正なことを何一つ行わなかったなら、立派にやっていることになるし、「迎合 (追従)」としての弁論術を持ち合わせないがゆえに死刑になるのであれば、動じることなく死の運命に耐えると述べる。なぜなら、「魂」が数々の悪業で充たされたまま、ハデスの国に赴くことは、有りとあらゆる不幸の内で、一番ひどい不幸だからと。 ソクラテスは、最後に「冥府の裁き」(エーリュシオン・幸福者の島(英語版))にまつわる物語(ミュートス)を述べ、この物語(ミュートス)は、老婆の作り話のように思われて軽蔑されるかもしれないが、誰もこれに勝るものを提示できないでいると指摘、ここまで自分が述べてきた説に従い、それを道案内として生きていくことを勧めつつ、話は終わる。
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