歴史劇への関心 - ギトリとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/05 16:20 UTC 版)
「アラン・ドゥコー」の記事における「歴史劇への関心 - ギトリとの出会い」の解説
ドゥコーは当初、歴史劇への関心から、サシャ・ギトリを敬愛し、彼のような劇作家になりたいと思っていたが、満足のいくものは書けなかった。1944年8月23日、パリ解放のさなか、対独協力者に対する厳しい粛清が行われていたとき、ギトリが対独協力の疑いで逮捕された。戦時中も活動を続けたことで「政治意識や戦闘心が欠如している」という理由であったが、無罪釈放されたのは2月後のことであり、この間、ドゥコーは、ギトリの作品が略奪されることのないよう、彼の自宅に押しかけて見張り役を務めた。ギトリは家を守ってくれたことに深く感謝してドゥコーの執筆の指導にあたり、以後、親交を深めることになった。一方で、最も関心を寄せていたルイ17世に関する研究を進め、1947年に博士論文『ルイ17世再発見』を提出・刊行。2年後の24歳のときに発表したナポレオンの母レティツィアの評伝でアカデミー・フランセーズのモンティオン賞(フランス語版)を受賞した。これは、18 - 19世紀の慈善事業家・経済学者ジャン=バティスト・ド・モンティオン(フランス語版)によって創設され、道徳的価値の高い作品に与えられる賞である。
※この「歴史劇への関心 - ギトリとの出会い」の解説は、「アラン・ドゥコー」の解説の一部です。
「歴史劇への関心 - ギトリとの出会い」を含む「アラン・ドゥコー」の記事については、「アラン・ドゥコー」の概要を参照ください。
- 歴史劇への関心 - ギトリとの出会いのページへのリンク