対独協力者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/07 21:45 UTC 版)
脱走後、コールはゲシュタポに自首した。抵抗運動メンバーの氏名および住所を記録したおよそ30ページもの名簿をドイツ側に提出した後、コールは親衛隊保安部(SD)のエージェントとなり、国家保安本部(RSHA)との共同のもと、抵抗運動メンバーの逮捕や彼自身がかつて運用に関与していた逃走経路の摘発に参加した。コールはパリ・フォッシュ大通り84番地(英語版)のSD支局に配属され、イアン・ガロウ(英語版)やゲーリスといった大物幹部を次々と告発した。抵抗運動メンバーの逮捕時、しばしばコールもその場に居合わせていた。ドイツ側の治安部隊はコールも他のメンバーと同様に逮捕していたので、彼の寝返りに気づく者はいなかったという。コールは少なくとも150人の抵抗運動メンバーを告発したと言われており、そのうち50人がゲシュタポによって処刑された。ドイツのエージェントとなった後、しばらくするとコールは自らが好む「古いやり方」に回帰した。彼はフランス人女性と結婚したが、彼女が流産するとすぐに離婚した。他に複数の愛人もあった。「イギリスに帰国した後に必ず返済する」などとと言いくるめ、愛人から貯金をだまし取ったこともあった。
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