対独協力作家ブラックリストの掲載に反対
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「ジャン・ポーラン」の記事における「対独協力作家ブラックリストの掲載に反対」の解説
パリ解放後の対独協力者の追放・粛清(エピュラシオン)の一環として、全国作家委員会は「裏切り者に対する正当な懲罰」を求める声明を1944年9月9日付の『レットル・フランセーズ』紙上に発表した。この声明にはポーランのほか、ジョルジュ・デュアメル、モーリアック、ヴァレリー、ピエール・ボスト、カミュ、エリュアール、ゲーノ、ミシェル・レリス、クロード・モルガン、クノー、サルトル、セゲルス、エディット・トマ、ヴェルコール、アラゴン、バンダ、カスー、プレヴォー、マルロー、マルタン・デュ・ガールらが署名している。さらに、9月16日付の『レットル・フランセーズ』紙には、対独協力作家のブラックリストが掲載された。これは、全国作家委員会が結成した『レットル・フランセーズ』粛清委員会が、ゲッベルスの宣伝省が1941年以降に開催したワイマール作家会議に出席した作家の一覧に基づいて作成したものであり、ドリュ・ラ・ロシェルのほか、シャルドンヌ、ロベール・ブラジヤック、ルイ=フェルディナン・セリーヌ、ジャン・ジオノ、サシャ・ギトリ、ジュアンドー、シャルル・モーラス、アンリ・ド・モンテルランらの名前が挙がっていた。ポーランはブラックリストの掲載には反対であり、さらに全国作家委員会がワイマールへの旅に参加した対独協力作家全員の逮捕を求めたことに抗議して、同年9月29日に『レットル・フランセーズ』の編集長を辞任した。また、この数か月後にブラジヤックが死刑判決を受けたときにも、カミュ、モーリアック、ヴァレリー、ヴラマンク、コレット、ジャン・コクトーらとともにド・ゴールに特赦を求める請願書に署名している。ブラックリストは第3回まで『レットル・フランセーズ』紙上に掲載され、以後は非公開とされた。
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