正西寺と華光院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/08 07:02 UTC 版)
浪江町川添(旧川添村)の正西寺の寺地には、明治時代初期までは天台宗の華光院という寺院が存在していた。 正西寺はもと大堀村(浪江町大堀)にあり、江戸時代初期に標葉氏の家臣の小丸氏の一族によって草創された。寛永19年(1642年)、小松光善(法名釈光善)が開山となり、寺号を許された。明治4年(1871年)に川添村の華光院跡(現在地)に移転している。 華光院は天台宗の寺院で、嘉吉2年(1442年)標葉清隆により標葉氏の居城である権現堂城(浪江町西台)に建てられたが、天正2年(1574年)春、4世牧山等育(相馬氏家臣佐藤伊勢四男文五郎の一子)の代に全焼し、標葉郷川添邑涼ヶ森(当地)に移転させ、曹洞宗に改宗し、円応寺の末寺となった。 華光院は明治3年(1870年)寺沢村(双葉郡双葉町寺沢)の仲禅寺と合併して同村に移転。仲禅寺は昭和23年(1948年)、浪江町高瀬に移転している。 平成23年(2011年)3月11日に発生した福島第一原子力発電所事故により、当寺のある川添地区も避難指示が出された。2012年4月1日、改めて居住制限区域に指定された。
※この「正西寺と華光院」の解説は、「正西寺」の解説の一部です。
「正西寺と華光院」を含む「正西寺」の記事については、「正西寺」の概要を参照ください。
- 正西寺と華光院のページへのリンク