歌 (橋幸夫の曲)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/11 01:14 UTC 版)
「歌」 | ||||
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橋幸夫 の シングル | ||||
B面 | 孤愁人・良寛 | |||
リリース | ||||
ジャンル | 演歌 | |||
レーベル | ビクター | |||
作詞・作曲 | 遠藤実(作詞・作曲) 馬飼野俊一(編曲) |
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橋幸夫 シングル 年表 | ||||
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「歌」(うた)は、1999年4月21日にビクターより発売された橋幸夫のシングルである。CD(VIDL-30416)とカセットテープ(VISL-30416)の2形式で発売された。
概要
- 橋は作曲家遠藤実の初期の弟子である。遠藤が所属するコロンビアが少年歌手を受入れなかった(当時は村田英雄など大御所歌手が全盛)ため、憤慨した遠藤が、橋をライバルのビクターのオーディションに連れて行き、合格にこぎ着けた。合格後、橋を連れてビクター専属作曲家の吉田正宅を訪問し、あいさつを交わしたが、これが後に国民栄誉賞を受賞する昭和を代表する二人の作曲家の初顔合わせであった[1][2]。これにより橋は吉田門下生となり、「潮来笠」で華々しいデビューを飾った。
- 遠藤と橋との交流はその後も続いており、シングルやアルバムで共演している。橋のデビュー30周年では、吉田、遠藤、橋の3人で記念アルバムを制作、シングルの記念盤も出している[3]。
- 1998年吉田が死没後、遠藤から「吉田先生が夢枕にたたれて『橋君をよろしく頼む』」と託されたとの電話があり[4]、それから暫く後、本曲ができあがった。このような経過もあり、作詞、作曲とも遠藤が行っている。
- 遠藤からは「橋君の人生には歌しかないだろう」と言われた[4]とされ、遠藤による橋への遺作となった。
- c/wの「孤愁人・良寛」(こしゅうびと・りょうかん)は鈴木紀代の作品で、鈴木は次作となる「男ざかり(c/w 愛ことば)」の詞を制作している。2016年には180枚目のシングルとなる「ちゃっきり茶太郎」も作詞している。
収録曲
- 歌
- 作詞、作曲:遠藤実、編曲:馬飼野俊一
- 孤愁人・良寛 (コーラス:荒川少年少女合唱団)
- 作詞:鈴木紀代、作曲:遠藤実、編曲:馬飼野俊一
収録アルバム
- 『橋幸夫が選んだ橋幸夫ベスト40曲』(2000.10.04)
- 『橋幸夫全曲集』(1999.10.21)
出典
- ^ 遠藤実『涙の川を渉るとき-遠藤実自伝』日本経済新聞社(東京)ISBN 978-4-532-16584-0、2007/2 156-158頁
- ^ 遠藤実「偉大なる吉田先生を偲んで」『生命ある限り-吉田正・私の履歴書』日立市民文化事業団(茨城)2001/3所収 175頁
- ^ 橋幸夫・小野善太郎共著『橋幸夫歌謡魂』ISBN 4-948735-16-7 ワイズ出版(東京)1993/6 130,258頁
- ^ a b 橋幸夫著『シオクルカサ(潮来笠)の不思議な世界:エピソードで綴る波乱の歌手伝説』ISBN 978-4-87969-106-4 日刊現代(東京)2007/4 203頁
「歌 (橋幸夫の曲)」の例文・使い方・用例・文例
- ギターの伴奏で歌う
- 彼女はピアノで歌手の伴奏をした
- 私といっしょに歌いましょう
- 彼女は10代の若者の間でカリスマ的な歌手だ
- 先生が授業中におかしな歌を歌ったのは本当に楽しかった
- 作者不詳の歌
- 国歌
- 私のガールフレンドはその新人歌手と同じような髪型をしている
- 聴衆は彼女の美しい歌声に魅せられた
- 私たちは歌手が舞台に現れるのを待っていた
- その歌で彼は音楽の美しさに目覚めた
- フルオーケストラの伴奏付きで歌ってみたい
- 彼女は頭上の空と足下の地について歌う
- 今まで聞いた中で一番よい歌
- 新人歌手の中では彼女が最高だ
- 盲目の歌手
- だれがやって来たか見てごらん.あの有名な歌手じゃないかな
- 昔はたいした歌手だったというのが彼女の自慢だ
- 最後の歌で聴衆は立ち上がった
- その歌が彼女の懐かしい思い出をよみがえらせた
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