欧州委員会委員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/22 08:29 UTC 版)
「パトリック・ヒラリー」の記事における「欧州委員会委員」の解説
アイルランドの「欧州入り」に成功したことにより、ヒラリーはアイルランド人として最初の欧州委員会委員となった。オルトリ委員会では副委員長および社会問題担当委員を務めた。欧州委員会では、最も有能で尊敬できるアイルランドの政治家という評価を得たが、本国のジャック・リンチにとっては、味方であり自身の引退後に引き継いでくれるであろう人物を一人失ったことを意味していた。社会問題担当委員としてヒラリーが行った最も有名な政策は、加盟国に対して男女同一賃金とするようにしたものだ。しかし1976年、フィン・ゲール(アイルランド国民党)と労働党が政権を執っていた当時のアイルランド政府は、委員会に再指名されなかったことを通知した。 ヒラリーは、医師に復帰し、同じく医師であった妻メイブとともにアフリカに引っ越すことを考えていた。しかし、当時国防相であったパディ・ドネガンが大統領カハル・オドーリーを激しく非難するようになると、事態は急展開を迎える。反テロリスト法の合憲性について判断するため、法律を裁判所に付託したことに関して、ドネガンはオドーリーに対して「とてつもない恥だ」と呼んだ。これに怒ったオドーリーは大統領を辞任、ヒラリーは気が進まないままフィアナ・フォールの大統領選挙候補者となった。1976年12月3日、対立候補がいなかったため大統領選挙が行われないまま、第6代大統領に選出された。
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