欧州、西アフリカ、西インド・北米の三角貿易(奴隷貿易)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 13:42 UTC 版)
「三角貿易」の記事における「欧州、西アフリカ、西インド・北米の三角貿易(奴隷貿易)」の解説
砂糖・銃・奴隷の三角貿易 三角形の頂点にあたる地域は、ヨーロッパ・西アフリカ・西インド諸島の3地域。辺にあたる貿易ルートはヨーロッパの船による一方通行となっており、また、特定の海流に乗っている。 カナリア海流:ヨーロッパ → 西アフリカ(繊維製品・ラム酒・武器) 南赤道海流:西アフリカ → 西インド諸島など(奴隷『“黒い積み荷”』) メキシコ湾流・北大西洋海流:西インド諸島など → ヨーロッパ(砂糖・綿『“白い積み荷”』) 17世紀から18世紀にかけて、イギリスをはじめとするヨーロッパでは喫茶の風習が広まり、砂糖の需要が急激に高まった。それに伴い、砂糖を生産する西インド諸島およびブラジル北東部などでは労働力が必要となった。 こうした状況の下で、ヨーロッパから出航した船は、カナリア海流に乗って西アフリカへ繊維製品・ラム酒・武器を運んだ。輸出された武器は対立するグループ間へ供与され、捕虜(奴隷)の確保を促すこととなった。それらの品物と交換で得た奴隷を積み込み、南赤道海流に乗って西インド諸島やブラジル(ブラジル南東部へはブラジル海流)へと向かい、交換で砂糖を得て、メキシコ湾流と北大西洋海流に乗って本国へ戻った(奴隷貿易)。こうして、ヨーロッパ→西アフリカ→西インド諸島→ヨーロッパという一筆書きの航路が成立し、「三角貿易」と言われた。奴隷の一部はアメリカ合衆国南部へと輸出され、多くは綿花のプランテーションで働かされることとなった。綿花はイギリスの織物工場へ輸出され、産業革命の基盤になったとされている。貿易の平均的な利益率は10%-30%といわれている。
※この「欧州、西アフリカ、西インド・北米の三角貿易(奴隷貿易)」の解説は、「三角貿易」の解説の一部です。
「欧州、西アフリカ、西インド・北米の三角貿易(奴隷貿易)」を含む「三角貿易」の記事については、「三角貿易」の概要を参照ください。
- 欧州、西アフリカ、西インド・北米の三角貿易のページへのリンク