機関車交換駅時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 16:12 UTC 版)
1949年5月20日に東海道本線静岡 - 浜松間の電化が完成すると、浜松駅は電化区間の境界となり、東京方面の電気機関車と名古屋方面の蒸気機関車との付け換えが行われるようになった(戦前では沼津駅でのそれが知られる)。これに伴う長い停車時間は、浜松駅に以下のような「名物」を生むことになった。 乗客の気分転換を目的としたホーム上でのラジオ体操。 日本楽器製造(現・ヤマハ)によるハーモニカの立ち売り「ハモニカ娘」の登場(1951年から)。 1953年7月21日に浜松 - 名古屋間の電化が完成すると機関車交換駅の役割は終わりを告げた。ただし、「ハモニカ娘」はその後も駅の名物として1969年まで営業を続け、乗客に親しまれた。なお、楽曲や映画でも『僕は特急の機関士で』の「東海道の巻」や『喜劇 駅前弁当』などで「ハモニカ娘」が取り上げられている。
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