橋頭堡の建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:11 UTC 版)
橋が占領された後、第276工兵大隊の工兵、および第1058敷設部隊の専門の溶接工と鉄鋼作業員は、戦闘による橋の損傷を修復し、甲板の穴を埋める作業をすぐに開始した。 3月8日の午前4時30分、第1大隊/第310歩兵連隊/第78連隊がルーデンドルフ橋を渡り、次の2日間で残りの部隊が続いた。第78歩兵師団には、第79歩兵師団と第99歩兵師団が橋を渡った。 第7機甲師団の指揮官であるロバート・W・ハスブルック(Robert W. Hasbrouck)少将は、歩兵大隊1個で補強された戦闘隊を、第9歩兵師団の第60歩兵連隊を救援するため、レマゲン近くの地域に直ちに移動するように命令されていた。第310歩兵連隊、第78歩兵師団は、ライン川を越え、第9機甲師団に続いた最初の部隊であった。指揮を効率化するために、すべての部隊は橋を渡る際に第9機甲師団の戦闘隊Bの援護をうけていた。 橋の修理のなかで戦車が通過する際の重量を支えることができるかどうかが問題となったが、作業にあたっていた部隊は120人程の規模であったので橋の補強を急ぐこととなった。深夜、工兵部隊は作業を終え、3月8日午前12時15分、第14戦車大隊所属の9両のシャーマン戦車からなる2個小隊が、工兵が穴の輪郭を描いて残した白いテープに沿って、橋を渡った:504。しかし、後続した、656番駆逐戦車大隊所属のM10駆逐戦車はドイツ軍の解体作業で残った橋の甲板の穴にはまり、工兵部隊は、駆逐戦車を川に押し込むことを検討したが、橋をさらに損傷する可能性があると判断された。そのため、彼らは一晩中ジャッキを用いて戦車の移動作業にあたり、午前5時30分にようやく戦車を戻すことに成功した。 橋が作業で封鎖されている間、戦闘隊Bの残りの部隊は徒歩で渡ることになった。橋の東側とエルペルの町は、9台のシャーマン戦車と戦闘隊Bの部隊によって一晩確保されていた:246。アメリカ軍は橋を上手く渡ったが、東岸の足掛かりは脆弱になっており、ドイツ軍はまだ橋と細い橋頭堡の周りの周辺を見下ろす位置を維持しており、もし、48時間以内に集中的な反撃を行うことができたならば、アメリカ軍をライン川を越えて押し戻すことができた可能性があったという:253。
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