橋本文雄 (録音技師)とは? わかりやすく解説

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橋本文雄 (録音技師)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/01 17:26 UTC 版)

はしもと ふみお
橋本 文雄
本名
生年月日 (1928-03-14) 1928年3月14日
没年月日 (2012-11-02) 2012年11月2日(84歳没)
出生地 日本 京都府京都市
職業 録音技師
ジャンル 映画
活動期間 1946年 - 2012年
活動内容 1946年 大映京都撮影所入社
1954年 日活撮影所移籍
1955年 技師昇進
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橋本 文雄(はしもと ふみお、1928年3月14日 - 2012年11月2日)は、日本録音技師である。日本映画・テレビ録音協会顧問。

人物・来歴

1928年(昭和3年)、京都府京都市に生まれる[1]

旧制・大阪専門学校(現在の近畿大学)を中途退学し、18歳になる1946年(昭和21年)、母方の叔父が製作主任として在籍していた大映京都撮影所録音部に入社した。当時同撮影所に在籍していた伊藤大輔衣笠貞之助溝口健二森一生らの作品の録音助手を務め、薫陶を受ける[1]

1954年(昭和29年)、同じ録音部の後輩の紅谷愃一とともに東京へ移住、調布市日活撮影所に移籍した。録音助手を1本だけ務めて、翌1955年(昭和30年)、27歳で技師に昇進、西河克己監督の『生きとし生けるもの』がデビュー作となった[1]

マキノ雅弘川島雄三井上梅次中平康今村昌平舛田利雄蔵原惟繕らの作品を次々に手がけ、「日活の音」の礎をつくったとされる[1]

1996年(平成8年)、映画批評家上野昻志との共著『ええ音やないか - 橋本文雄・録音技師一代』をリトル・モアから上梓した。

紅谷が代表理事を務める録音技師の職能団体「日本映画・テレビ録音協会」の顧問を務めていた。

2004年文化庁映画賞受賞[2]。 2006年11月旭日小綬章受章[3]

2012年(平成24年)、第37回湯布院映画祭にて「現場で生きた音を録れ」と題した特集が3日間組まれ、『生きとし生けるもの』『緑はるかに』『零戦黒雲一家』『実録 白川和子 裸の履歴書』『天守物語』など10本の手掛けた映画が特集され、元気な姿を見せた。

2012年(平成24年)11月2日、肺炎のため死去[4]。84歳没。

おもなフィルモグラフィ

ビブリオグラフィ

脚注

  1. ^ a b c d vol.6 録音 橋本文雄さん(前半) - 日活
  2. ^ 平成16年度(第2回)文化庁映画賞について”. 文化庁 (2004年). 2015年3月22日閲覧。[リンク切れ] アーカイブ 2012年10月17日 - ウェイバックマシン
  3. ^ 平成18年秋の叙勲 旭日小綬章等受章者 東京都” (PDF). 内閣府. p. 2 (2006年11月3日). 2007年2月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月24日閲覧。
  4. ^ 録音技師・橋本文雄さん死去 日活映画中心に半世紀 - 朝日新聞デジタル

外部リンク




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