樽殺し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/05 13:48 UTC 版)
1903年4月14日、マンハッタンのイースト・ヴィレッジの空き地で、バラバラ遺体が詰まった木の樽が見つかった。60個の刺し傷があり、拷問の上死に至らしめたとみられ、首はほとんど切断されていた。新聞はその残虐な殺しぶりを「バレル・マーダー(木の樽殺し)」と呼び、センセーショナルに報じた。犠牲者は前の晩、モレロら数人と一緒にいるところを張り込み中のUSSSに目撃されていた。 警察は、死体はモレロの仲間ベネディット・マドニアだと告発する匿名の手紙を受け取り、捜査官ジョゼッペ・ペトロジーノがマドニアの親族で紙幣偽造で収監中だったジュゼッペ・ディプリモを訪れ、遺体がマドニアと確認した。ディプリモの話から、マドニアがディプリモの仕事の報酬を取ろうとモレロに談判しに行き、揉めた末に殺されたとみた。 木の樽はモレロ一家のメンバーのピエトロ・インゼリッロのカフェにあった砂糖の樽と一致し、発送元のパン製造工場からインゼリッロが砂糖を注文して付け届けられたこともわかった。木の樽に残っていた黒いイタリア製煙草の吸殻と同じ煙草をモレロが所持しており、またモレロの酒場に同じ煙草が見つかった。同4月、警察はマドニア殺害容疑でモレロら12人を逮捕したが、証拠不十分で無罪となった。
※この「樽殺し」の解説は、「モレロ一家」の解説の一部です。
「樽殺し」を含む「モレロ一家」の記事については、「モレロ一家」の概要を参照ください。
- 樽殺しのページへのリンク