権知高麗国事から権知朝鮮国事とは? わかりやすく解説

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権知高麗国事から権知朝鮮国事

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 08:44 UTC 版)

李成桂」の記事における「権知高麗国事から権知朝鮮国事」の解説

1392年7月国家方針決定する評議使司は新興官僚層が推戴し李成桂即位要請し恭譲王追放した。「禅譲」の形式による新国家樹立であった李成桂は、「権知高麗国事」を正式に名乗ったが、「知」「事」が高麗囲んでおり、「」は日本権大納言権中納言と同じで「副」「仮」という意味であり、「権知高麗国事」とは、仮に高麗政治取り仕切る人という意味である。このように李成桂は、事実上の王でありながら、「権知高麗国事」を名乗り朝鮮治めるが、それは朝鮮王は代々中国との朝貢により、王(という称号)が与えられたため、高麗が宋と元から王に認めてもらったように、李成桂明から王に認めてもらうことにより、正式に李氏朝鮮となる。小島毅は、「勝手に自分で名乗れない」「明の機嫌損ねないように、まずは自分高麗国を仮に治めていますよというスタンス取り、それから朝貢行い、やがて朝鮮国王として認めてもらいました」と評している。王位就いた壬申7月17日(旧暦)、つまり1392年8月3日(陽暦)から癸酉2月14日、つまり西暦1393年3月26日まで李成桂形式上では高麗の王であり、1393年3月27日から正式に朝鮮となった吉田光男によると、明の初代皇帝朱元璋李成桂には1392年権知高麗国事という称号与え国号変更迫った後に李成桂提案した「和寧」「朝鮮」の二つから朝鮮変えることを1393年認めた後も権知朝鮮国事とさせた。その結果第三権知朝鮮国事だった太宗1401年に明の建文帝から朝鮮国王称号受けたときは、王朝開設から12年過ぎていてた。そのため、死後太宗によって、初代朝鮮国王称号与えられた。

※この「権知高麗国事から権知朝鮮国事」の解説は、「李成桂」の解説の一部です。
「権知高麗国事から権知朝鮮国事」を含む「李成桂」の記事については、「李成桂」の概要を参照ください。

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