楽曲の起源と初期のバージョン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/27 03:11 UTC 版)
「アイ・ア・ムアナ」の記事における「楽曲の起源と初期のバージョン」の解説
この曲は、最初は「アイエアオア」と呼ばれ、フランスの楽曲制作チームであるダニエル・ヴァンギャルドとジャン・クルーガーが作品を書き、制作して、1971年に発表された、デタラメな日本語風の曲を収めたダンス・アルバム『素晴らしきYAMASUKIの世界』に収録されていた。 1975年、ベルギーの音楽プロデューサーで、ベルギー領コンゴ生まれだったミシェル・ジャスパー (Michel Jaspar) が、当時のザイールの歌手スティーヴ・バンダ・カレンガ(イタリア語版)と契約を結び、カレンガはアンゴラ出身の友人たちとともにバンドを組んだ。ジャスパーは、このバンドをブラック・ブラッド (Black Blood) と改名し、同僚の音楽家ラルフ・ベナター(オランダ語版)とともに、また、クルーガーの激励も受けながら、このバンドの最初のシングルをベルギーで制作した。シングルのA面は、ジャズパー作の「Marie Therese」という曲で、B面に収められたのが、ジャズパーがスワヒリ語で歌詞を書き直した「アイエアオア」のバージョンであったが、「アイ・ア・ムアナ (Aie a Mwana)」という語句は、スワヒリ語でも意味を成さないものであった。B面に「A.I.E. (A Mwana)」として収められた楽曲は、ヒット曲となり、ベルギーとフランスではチャートの首位に立ち、その他の諸国でもヒットした。 バナナラマのバージョンがイギリスで成功を収めた後、その時点までにギブソン・ブラザーズ(英語版)やオタワン(英語版)で一定の成功を収めていたヴァンギャルドとクルーガーは、1982年に英語の歌詞による「A.I.E. Is My Song」をオタワンの楽曲としてリリースし、1987年にはフランス語の歌詞により「A.I.E A Moun'la」をラ・コンパニー・クレオール(フランス語版)の楽曲としてリリースした。
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