検疫業務へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/09 15:51 UTC 版)
明治44年(1911年)静岡県でワタフキカイガラムシが大発生し、検疫の必要性を痛感する中、大正3年(1914年)輸出入植物取締法が制定されると、植物検査官として植物検査所長に就任し、検疫行政、研究に携わった。大正8年(1919年)秋にはアメリカ合衆国に渡り、各地を巡って害虫防除事業を視察する。大正11年(1922年)対米輸出ユリ根包装用の土壌に関し、アメリカ当局と協定を結ぶ。 大正13年(1924年)植物検査所が税関と合併し、横浜税関植物検査課長に就任した。大正15年(1926年)コナジラミ科のトゲコナジラミ類に寄生するツヤコバチ科の寄生蜂、シルベストリコバチをミカントゲコナジラミの天敵として中国南部より輸入する。大正15年(1926年)4月30日、「日本産「モノフレビ」亜科ニ関スル研究」で農学博士。 昭和2年(1927年)植物検査の統括事務が農林省に移り、農林省技師となる。昭和7年(1932年)1月30日辞官し、3月7日嘱託として研究を続けたが、昭和8年(1933年)7月7日俄に発病し、14日死去した。
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