植樹の記録と寛文の造営
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 05:52 UTC 版)
「馬場大門のケヤキ並木」の記事における「植樹の記録と寛文の造営」の解説
馬場大門への並木の植樹を示す記録のうち年月日が特定可能な最古の記録は六所宮の二の鳥居前に立てられた制札の文章である。1667年(寛文7年)に出された触れが幕末まで掲示されていた。並木に関する記述の一部を参考文献から引用する。 條々一 六所大明神境内之竹木猥に 不可伐採之并馬場之土手に 植之苗木ぬき捨てへからさる事(中略)右之條々可相守 此旨違背之族於有之者 可為曲事者也 寛文七年四月廿日 奉行 現代語訳も合わせて引用する。 條々一 六所明神境内の竹木を勝手に 伐採しないこと、また馬場の土手に 植えた苗木を抜き捨てないこと(中略)右の箇条を守りなさい、これに違反する者があれば罪になる 寛文七年四月廿日 奉行 1646年(正保3年)、六所宮は大火に見舞われ建物・古記録のほとんどが失われた。そして、1667年に江戸幕府による復興造営と並木の植継が竣工したのである。制札の触れは竣工時に出された触れである。以上の記録により、樹種は不明ではあるものの、少なくとも1667年には馬留の土手に苗木が植栽されていたことがわかる。
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