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森田廣

森田廣の俳句

夜ふかく野火をのせたる放れ馬
屋上に神父を放ち亀鳴けり
巡礼に玉子を置いて鳥帰る
船上に箸をつかえば霞みゆく
鳥雲に空に刷ったる青海波
 

森田広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/29 13:59 UTC 版)

森田 広
生誕 1889年4月9日
日本 和歌山県
死没 (1977-02-25) 1977年2月25日(87歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1910年 - 1945年
最終階級 陸軍中将
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森田 広(もりた ひろし、1889年明治22年)4月9日[1] - 1977年昭和52年)2月25日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

経歴

1889年(明治22年)に和歌山県で生まれた[1]陸軍士官学校第22期卒業[1]1936年(昭和11年)に旅順重砲兵連隊長に就任し[2]1937年(昭和12年)3月1日陸軍砲兵大佐に進級[2]11月1日に横須賀重砲兵連隊長に転じ[2]1939年(昭和14年)に第13軍兵器部長に就任した[2]

1940年(昭和15年)3月に陸軍少将に進級し[2]1941年(昭和16年)3月に関東軍野戦兵器廠長に着任[1]1943年(昭和18年)3月25日には関東軍兵器部長兼補給兵器部長に就任し[3]1944年(昭和19年)10月26日に陸軍中将に進級[2]1945年(昭和20年)4月7日第2総軍兵器部長に就任し[1]、終戦を迎えた。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

脚注

  1. ^ a b c d e f 福川 2001, 730頁.
  2. ^ a b c d e f 外山 1981, 281頁.
  3. ^ 第57号 昭和18年3月25日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120886000 
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」84頁。

参考文献

  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026 


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