格闘探偵団バトラーツ
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「田中稔 (プロレスラー)」の記事における「格闘探偵団バトラーツ」の解説
1995年に格闘探偵団バトラーツの設立に参加し所属する。1999年4月の新日本プロレス東京ドーム大会に参戦、同年のBEST OF THE SUPER Jr.にも出場する。 2000年6月に金本浩二とジュニア・スターズを結成しIWGPジュニアタッグ王座を獲得。同年10月にバトラーツを退団、高岩竜一のIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦し勝利する。第39代IWGPジュニアヘビー級王座初戴冠となった。
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格闘探偵団バトラーツ
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2008年6月1日、東京・北千住シアター1010ミニシアターでの矢野啓太戦でプロレスデビュー(バトラーツルール)。8分57秒、チェーンレスリングに翻弄されたのち、足取りゆりかもめに沈み悔し涙を流した。この時30歳。石川雄規からは「お前は遅れてきたUになれ」と声をかけられ、以後バトラーツの準レギュラー選手となる。 総合のリングに帰ると、悔しさをぶつけるがごとくライト級で一本勝ちを量産。のちの「ZST.40」では本戦デビューを果たした。 2009年4月12日、東京・シアター1010ミニシアター大会における石川雄規&臼田勝美組戦(パートナーはスーパータイガー)でメインイベント初登場。以降、2011年11月5日、新宿フェイスでのバトラーツ解散興行まで総合格闘技とプロレスを並行して出場する。 バトラーツ解散興行では田中稔&日高郁人組と対戦した(パートナーは臼田勝美)。解散とともにプロレス活動を休止。「目標と行き先を無くしてしまった」ことが理由だという。 以降、リバーサルジム新宿 Me,We所属となり、総合格闘技へ専念へ。
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