根の説の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 05:36 UTC 版)
炭素原子が4価である結論に至ったコルベとケクレであるが、その考え方には大きな違いがあった。コルベは原子がいくつか集合して根をつくり、根がいくつか集合して化合物をつくるという考えを持っていたのに対し、ケクレはそのような実体を持つ根の概念を否定していた。また、ケクレは炭素原子と他の原子が結合しているものと考えたのに対し、コルベは結合という概念を考えず根は単なる原子の集合であると考えていた。 すでに1849年にルイ・パスツールによって酒石酸の鏡像異性体の分離がなされ、分子の空間的な形について考察がなされていた。さらに幾何異性体やジアステレオマーが発見されると、それらの相互の関係についての研究が盛んに行なわれた。1874年ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフとジョセフ・ル・ベルが独立に炭素の4つの原子価が空間的に正四面体の頂点への方向性を持つという説を提案した。この説は個々の炭素原子の特性に着目するという点で根の実在について否定的であり、また化学結合の存在を前提としており、コルベに受け入れられるものではなかった。そのためコルベは強い批判を加えたが、多くの化学者はファント・ホッフとル・ベルの理論を受け入れていった。こうしてコルベの死後、有機化学において根の説はほぼ完全に放棄されることになったのである。
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