核兵器の戦略理論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/25 06:19 UTC 版)
核兵器が発明されるとその破壊力をどのように戦略的に活用すればよいのかという核戦略の議論がされるようになった。ブローディは「絶対兵器」(1946年)において、核兵器は僅かな使用であっても都市圏を破壊する上に有効な対抗策がないため「絶対兵器」であると称して核兵器を独特な軍事力として位置づけた。アメリカは1950年代に大量報復戦略を打ち出したが、リデル=ハートはこの核戦略の議論で、核兵器が従来のように実施されてきた戦争の概念を旧式化したと論じた。彼の『抑止か防衛か』では通常軍備の意義を強調しながらも、戦術核兵器について戦場では威力を発揮するが、戦争そのものの規模が拡大して核戦争になると論じる。リデル=ハートに続いてオズグードの『制限戦争』(1957年)、キッシンジャーの『核兵器と外交政策』(1957年)、トーマス・シェリングの『紛争の戦略』(1963年)などによる理論的進歩があり、核兵器によっていかに核抑止を成り立たせ、また戦争においては制限戦争に留めるための戦略理論が構築された。
※この「核兵器の戦略理論」の解説は、「軍事戦略」の解説の一部です。
「核兵器の戦略理論」を含む「軍事戦略」の記事については、「軍事戦略」の概要を参照ください。
- 核兵器の戦略理論のページへのリンク