柳川ともよ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 02:28 UTC 版)
名は友世とも表記。安永年間に、「女力持ち」を標榜して巨大なものを持ち上げる芸で人気を博した女芸人。安永5年(1776年)に、江戸堺町の通称「楽屋新道」とよばれた劇場街の寄席で演じた記録が斎藤月岑『武江年表』(同年5月の項)や大田南畝『半日閑話』(同年6月の項)に残る。このとき、風来山人によって『力婦伝』という宣伝パンフレットのような性格の評伝が出版された。『武江年表』によれば、大八車に米五俵(事実だとすれば、軽く200kgは超えている)をのせて、その車ごと頭上に持ち上げたり、碁盤を片手で振ってろうそくの火を消す芸を見せたという。『力婦伝』によれば越後国高田の農家で生まれ、生家の借金のために本郷大根畠の岡場所の女郎に売られたが、酒の入った四斗樽を軽々と運ぶ姿を見た楼主が芸人への転身をすすめたものだという。後半生については定かではない。
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