林家木久蔵を名乗り続けた理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 23:30 UTC 版)
「林家木久扇」の記事における「林家木久蔵を名乗り続けた理由」の解説
彦六が8代目として名乗っていた「林家正蔵」という名は、7代目林家正蔵没後、子息初代三平から一代限りという約束で借りたものなので、8代目林家正蔵はその義理から、自分の一門で「林家」の亭号を増やさないように、弟子が真打になると全員春風亭・橘家など「林家」以外の名に改名させた(ただし、7代目一家(海老名家)が「林家正蔵」の名跡の所有権を代々保持しなければならないという決まりごとは存在しない)。 ただし、木久蔵は三平に気に入られていたことから、真打になっても「林家」の名を変えずに済んだ(「笑点」での木久蔵の真打昇進披露の時には三平、8代目正蔵、9代目桂文治と共に高座に上がった)。林家三平没後は、林家九蔵(同名で真打昇進してから彦六没後1年後に圓楽一門に移り三遊亭好楽に改名)、林家時蔵、林家正雀は、「林家」亭号の変更をしない方針となった。 こうした経緯もあってか、初代三平の長男・こぶ平の9代目正蔵襲名および次男・いっ平の2代目三平襲名に際しては、「笑点」の共演者でもあり多発性硬化症により休養を余儀なくされ、高座を離れていた二人の師匠・こん平の代理として後見を務めている。
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