松門文庫とは? わかりやすく解説

窪田畔夫

(松門文庫 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/07 00:14 UTC 版)

窪田重国
(窪田畔夫)
(くぼた くろお)
生年月日 1838年12月5日
出生地 日本 信濃国筑摩郡和田町村
(現・長野県松本市
没年月日 (1921-04-30) 1921年4月30日(82歳没)
現職 宮司
所属政党 中央交渉会

選挙区 長野県第4選挙区
当選回数 1回
在任期間 1892年 - 1893年12月30日

在任期間 1888年 - ?

在任期間 1879年1月4日 - ?
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窪田 畔夫(くぼた くろお、1838年12月5日天保9年10月19日) - 1921年大正10年)4月30日)は、長野県政治家[1]。本名は窪田重国[1]、号は松門であった。

経歴

信濃国筑摩郡和田町村(天領、現在の松本市和田)に生まれ、青年期から寺子屋を開いて教育に従事した[2]

1872年開智学校の前身となった筑摩県学の開設を進め[3]、また、市川量造らとともに、松本を拠点とした『信飛新聞』の創刊に参加した[2]。以降、同紙や、1876年に改題した『松本新聞』の紙面で、自由民権運動の論陣を張った[1][2]

1879年には、北安曇郡の初代郡長となり、在任中の1883年には渡辺敏らとともに白馬岳に初登頂した[4][5]

1888年長野県会議員、1892年には帝国議会衆議院議員となった[1]衆議院議員総選挙には1890年第1回から出馬したが、この時は次点に終わり、1892年第2回でトップ当選を果たしたものの、1894年3月の第3回、同年9月の第4回では惨敗を喫した。

長男に先立たれたことを契機に政界を引退し、晩年は各地の神社の宮司を務めた[2]

松門文庫

畔夫の晩年、次男で、蚕種業者として成功した二木家の養子となっていた二木洵(ふたつぎ まこと)が、父の業績を顕彰し、その蔵書を公開するために、1919年松門文庫(しょうもんぶんこ)と称する擬洋風[6]、ないし、和洋折衷様式の文庫を浅間温泉に建てた[3]。建物は、かつては公開されていたが、その後は非公開となった。2019年現在、松門文庫は二木家が所有し、原則非公開となっているが[2]2018年からその保存・活用が松本市議会で議論され[3]、また地元の民間団体などが「松門文庫を考える会」を発足させるなど、建設から百年を経て保存・活用を巡る動きが出ている[2]

脚注

  1. ^ a b c d デジタル版 日本人名大辞典+Plus『窪田畔夫』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f 石川鮎美 (2019年1月16日). “浅間温泉の「松門文庫」100年 近代化けん引 窪田畔夫顕彰 保存活用へ”. 市民タイムス. https://www.shimintimes.co.jp/news/2019/01/post-3513.php 2019年1月17日閲覧。  - 紙面では窪田畔夫の経歴の紹介があるが、ウェブ上には掲載されていない。
  3. ^ a b c “一般質問ハイライト みんなの未来 浅間温泉の歴史や文化を語る松門文庫” (PDF). まつもと市議会だより (松本市議会) (183): p. 6. (2018年11月1日). http://www.city.matsumoto.nagano.jp/sigikai/gikaibunsyo/gikaidayori/2018/Vol_183.files/gikaidayori183.pdf 2019年1月17日閲覧。 =
  4. ^ 『日本の山1000』山と溪谷社、1992年、ISBN 4-635-09025-6、pp.378-379
  5. ^ 梵字石ルートのこと”. 岳温泉 陽日の郷あづま館 (2016年11月29日). 2019年1月17日閲覧。
  6. ^ やまもと (2018年5月21日). “ディープな浅間温泉探検隊!工芸の五月建築家と巡るタイムトラベル密着取材!第1章”. 松本市公式観光情報 新まつもと物語. 2019年1月17日閲覧。

松門文庫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/16 01:11 UTC 版)

窪田畔夫」の記事における「松門文庫」の解説

畔夫の晩年次男で、蚕種業者として成功した二木家養子となっていた二木洵(ふたつぎ まこと)が、父の業績顕彰し、その蔵書公開するために、1919年に松門文庫(しょうもんぶんこ)と称する洋風、ないし、和洋折衷様式文庫浅間温泉建てた建物は、かつては公開されていたが、その後非公開となった2019年現在、松門文庫は二木家所有し原則非公開となっているが、2018年からその保存活用松本市議会議論され、また地元民間団体などが「松門文庫を考える会」を発足させるなど、建設から百年経て保存活用を巡る動き出ている。

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「松門文庫」を含む「窪田畔夫」の記事については、「窪田畔夫」の概要を参照ください。

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