松平信行 (旗本)とは? わかりやすく解説

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松平信行 (旗本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/29 04:16 UTC 版)

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松平信行
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 延享3年(1746年
死没 文政4年10月23日1821年11月17日
改名 関起宗→松平信行
別名 嘉吉→主計→舎人→市正
戒名 円修院殿
墓所 東京都文京区小日向深光寺
官位 従五位下、淡路守、兵庫頭
幕府 江戸幕府小普請奉行勘定奉行→西丸旗奉行
主君 徳川家治家斉
氏族 関家大河内松平家
父母 父:関盛時
養父:松平信成
兄弟 関盛有、松平信行、佐野敬明、恵順
女(曽我助簉室)、女(能勢頼護室)
多与(松平信成の娘)
信栄、信敬、信孟、女(権太泰栄室)
女(小川正方室)、女(佐橋佳富室)
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松平 信行(まつだいら のぶゆき)は、江戸時代中期から後期の旗本寄合)。堅綱大河内松平家6代。石高は1000石。

生涯

延享3年(1746年)に旗本・関盛時の次男として江戸で生まれる。松平信成の養子となり[1]明和6年(1769年)12月22日に初めて将軍家治御目見する。安永5年(1776年)9月11日に西丸小納戸となり、12月16日に布衣の着用を許される。安永8年(1779年)4月18日に寄合に列する。

安永9年(1780年)4月5日に家督を相続する。11月24日に徒頭寛政4年(1792年)9月25日に御先鉄砲頭、寛政8年(1796年)2月26日に小普請奉行となる。9月13日、従五位下・淡路守に叙任される。享和2年(1802年)6月21日に勘定奉行(公事方)となる。文化9年(1812年)11月24日に西丸旗奉行となる。

文政4年(1821年)10月23日に死去した。享年76。

参考文献

脚注

  1. ^ 大河内松平家と関家は何重もの縁組で結ばれており、関盛時の父関永張は大河内重綱の孫にあたる。



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