東部区間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/29 06:43 UTC 版)
バート・ヘルスフェルトからアイゼナッハまでの区間は1934年から1943年まで建設され、1943年7月1日に開通された。これはナチス・ドイツ時代の最後のアウトバーン開通でもあった。ドレスデンからアイゼナッハまでの区間は1935年から1941年まで建設された。 A4とA13を結ぶドレスデン北JCTは1951年から1971年まで臨時サーキットとして使われた。東ドイツ時代のA4の東端終点はヴァイセンベルク付近にあったが、バウツェンとヴァイセンベルクの間の区間は1972年から1992年まで閉鎖された。 東西冷戦時代に西ドイツと東ドイツの国境をまたがった。ヘルレスハウゼン付近に両国の出入国審査検問所があった。A4の路線は東西ドイツの境界線を3回またがった。出入国審査検問所は最も東の越境点にあった。そのため、オーバーズールICからヴォメンICまでの区間は1990年まで閉鎖された。 ヴァイセンベルクからポーランド国境までの区間はドイツ再統一後1990年代に建設された。
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