東海地震・浜岡原発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 00:21 UTC 版)
1969年(昭和44年)に茂木は、近い将来、駿河湾・遠州灘付近でマグニチュード8クラスの東海地震が発生する可能性を示唆した。しかし皮肉にも、その翌年、中部電力は静岡県に浜岡原発の設置を申請してしまう。さらには、1970年5月の設置申請後わずか7ヶ月後に国からの設置許可が下りてしまい、2号機も1972年9月に申請、8ヶ月後には許可されるという速さで、地震対策を十分考慮されたと思えないほどのペースで原発の建設が進められてしまう。茂木は「浜岡原発は即刻停止せよ」と主張し、浜岡原発を「立地そのものがおかしい」「愚挙」「世界一危険」などと呼んだ。「地震大国で地盤が不安定であるにも関わらず、ここまで原発が密集している国は、世界中で日本だけだ。」とのこと。実際、浜岡原発は耐震性・安全性など、設計は十分ではないとの指摘もあり、問題視されている。なお、石橋克彦が東海地震説を発表した1976年に、早くも浜岡原発の1号機は運転を始めており、地元住民が運転停止を求め提訴したこともある(浜岡原発訴訟)。 「浜岡原子力発電所」および「浜岡原発訴訟」も参照
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