東條総理暗殺計画と終戦工作
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「高木惣吉」の記事における「東條総理暗殺計画と終戦工作」の解説
舞鶴鎮守府参謀長から海軍省教育局長に転補された高木は、戦局悪化を憂い、海軍部内から自己主張が無いと信頼を失っていた嶋田海軍大臣を更迭することで、和平への動きを具体化できないかと模索した。しかし、嶋田の更迭は不可能であると判断し、首相・東條英機の暗殺計画を立案するに至る。 計画にはまず神重徳大佐、小園安名大佐、渡名喜守定大佐、矢牧章大佐、伏下哲夫主計中佐など海軍中堅クラスとも言うべき面々が参加したが、後に高松宮宣仁親王や細川護貞なども加わった。これは高木の背後に海軍の長老たちの無言の同意があった事をうかがわせる。 計画は、東條が愛用していたオープンカーで外出した際に数台の車で進路を塞ぎ、海軍部内から持ち出した機関銃で射殺するという荒っぽい手口のものだった。実行直前にサイパン失陥の責任を問われた東條内閣が総辞職したため、計画は実行に移されなかった。晩年の高木は「読みが浅かった。暗殺を実行したら陸海軍の対立が激化して終戦がやりにくくなった(だろう)」と反省の弁を述べている。
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