東條 満喜枝とは? わかりやすく解説

東條満喜枝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/31 00:45 UTC 版)

東條 満喜枝(とうじょう まきえ、1923年大正12年)- 2000年平成12年)5月)は、日本で活動した、家事相談を専門とするケースワーカーカウンセラーである[1][2]

生涯

東條英機の次女で、古賀秀正と結婚し姓は古賀となるが死別した[3][4][5]。その後も古賀の姓のままで活動するが、国立精神衛生研究所在職中に田村健二[注 1]と再婚し姓は田村となった[8][6][9]。マリッジ・カウンセラーとしての業績の大半は「田村満喜枝」によるものである。

戦後、現在の日本社会事業大学に学び、1952(昭和27年)2月16日に国立精神衛生研究所ソーシャル・ワーカーとして入職、児童精神衛生部、次いで社会学部に在籍した[10][8][6]。1958年(昭和33年)8月31日に退職すると、浅草寺が運営する浅草寺相談所[注 2]家庭・婦人相談部主任に転じ、1960年(昭和35年)から東京家庭裁判所家事調停委員を三十年余り務めた[1][10][6][9]。その間、中央社会福祉審議会委員[注 3]に任ぜられるなど、家事調停の第一人者として活躍し、多数の著書を残した[13]

ケースワーカーを志したのは「戦後の街角には戦災孤児の姿が目をひき、靴を磨く姿に胸が痛んだ。こうした戦争犠牲者、特に母子の方々と共に生きてゆきたかった」としてい、マリッジ・カウンセラーを自称し、家事調停に生涯を奉じた[10][14][15]

著書

脚註

註釈

  1. ^ 田村健二は、東京帝國大學文學部社會學科を卒業後、東京少年鑑別所官吏、東京家庭裁判所官吏、国立精神衛生研究所主任研究官、東洋大学社会学部教授などを歴任した[2][6]。その功績から、東洋大学より名誉教授の称号を授与された[2][7]
  2. ^ 浅草寺相談所は、浅草寺が震災直後に開設した婦人相談宿泊所などを1958年(昭和33年)に改組したもので、現在も浅草寺福祉会館として援護活動を行なっている[11][12]
  3. ^ 中央社会福祉審議会は、社会福祉事業法に基づき厚生省に置かれた審議会で、25人の委員は厚生大臣に任命された。

出典

  1. ^ a b 田村健二,田村満喜枝 著「家族緊張の調整」、小山隆 編『現代家族の研究:実態と調整』弘文堂、東京、1960年4月15日、381-482頁。doi:10.11501/3023334NCID BN04518028OCLC 9660508523全国書誌番号:60008086 
  2. ^ a b c 離婚の人間学”. システムパブリカ. 2023年8月3日閲覧。
  3. ^ 川瀬弘至 (2018年5月27日). “【昭和天皇の87年】クーデターを防いだ阿南陸相の切腹 決起将校も次々と自決した”. 産経ニュース. 産経デジタル. 2023年8月3日閲覧。
  4. ^ 柳原太郎「大東亜戦争の埋れた遺産(ー)」『奈良法学会雑誌』第11巻第3号、奈良産業大学法学会、1998年12月1日、1-31頁、CRID 1050282813911189888ISSN 0914-921X全国書誌番号:000717042023年8月18日閲覧 
  5. ^ 田村満喜枝「母を語る 誹謗に耐えた軍人の妻」『婦人生活』第18巻第8号、婦人生活社、東京、1964年8月1日、182-183頁、doi:10.11501/2324698全国書誌番号:00020884 
  6. ^ a b c d 15年間の所員人事異動(非常勤を除く)と多出者の現職」『精神衛生資料』第13号、国立精神衛生研究所、市川、1967年4月、164-170頁、ISSN 0454-2010全国書誌番号:000131352023年8月3日閲覧 
  7. ^ 益満孝一「奇縁により社会福祉専門職養成と支援に携わって」『日本社会福祉教育学会 NEWS LETTER』第27号、日本社会福祉教育学会、酒田、2016年4月25日、1頁、2023年8月3日閲覧 
  8. ^ a b 設立とその後の変遷」『国立精神衛生研究所創立五周年記念誌』国立精神衛生研究所、市川、1957年、7-10頁。 NCID BA86779724https://www.ncnp.go.jp/nimh/pdf/foundation05.pdf2023年8月3日閲覧 
  9. ^ a b 横山定雄,田村健二,玉井収介,柏木昭,西内育子,牛窪浩,田村満喜枝,桜井芳郎,宮脇源次,高橋種昭,竹渕幸子「精神衛生の地域組織活動とその管理の方法に関する研究(第2報)」『精神衛生研究』第7号、国立精神衛生研究所、市川、1959年3月、1-111頁、doi:10.11501/1803700ISSN 0559-3158全国書誌番号:00013134 
  10. ^ a b c 田村満喜枝「一途だった私」『卒業生文集はらじゅく』第1号、日本社会事業大学同窓会、1981年6月1日、2023年8月3日閲覧 
  11. ^ 観音さまの慈悲につつまれて」『ぴっぱら』、全国青少年教化協議会、東京、2005年12月、全国書誌番号:000308552023年8月3日閲覧 
  12. ^ 浅草寺福祉会館”. 所属施設. 浅草寺. 2023年8月3日閲覧。
  13. ^ 田村健二,田村満喜枝「T・Mケース――ケース研究<その5>・幼児恐怖症の家族治療」『東洋大学社会学部紀要』第10号、東洋大学社会学部、東京、1974年3月、77-94頁、doi:10.11501/2782793ISSN 0495-9892全国書誌番号:00017050 
  14. ^ 神野直彦 (2019年4月23日). “学会コラム<緑と絆の木陰>冬の軽井沢”. 瓦版2019.4.23 第461号. 週刊スローライフ瓦版. スローライフ・ジャパン. 2023年8月3日閲覧。
  15. ^ 副田義也,田村満喜枝,宮澤康人,平井信義「座談会/子どもたちの豊かな未来のために」『世界の児童と母性』第25号、資生堂社会福祉事業財団、東京、1988年9月30日、22-31頁、doi:10.11501/1843677ISSN 0289-2383全国書誌番号:00028619 

東條 満喜枝

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「東條満喜枝」の記事における「東條 満喜枝」の解説

2000年平成12年5月)は、東條英機次女家事調停委員初婚の際に古賀満喜再婚の際に田村満と姓が変わった

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