東工大学生時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 03:10 UTC 版)
2浪の末1957年に東京工業大学に入学し、山歩きが趣味であることから山岳部とワンダーフォーゲル部、そして興味のあったエスペラント部に入部した。ワンゲルは山岳部と大差ないことから1ヶ月ほどで参加しなくなり、エスペラント部も英語の勉強に力を入れ出した2年生頃から足が遠のき、山岳部だけは大学院まで活動を続けたという。 学業面では、東工大に入学したこともあってポリマーを研究したいと考え、化学工学の学科を選んだ。3年生の1月に卒業研究の配属が決まり、志望した合成の研究室は人気が高く、くじ引きで落選したため高分子物性の研究室に配属された。当時は修士を採用する企業が増加しており、進路についてはあまり具体的に考えず大学院に進学したという。 指導教授だった金丸競が翌年に定年退官を控えて修士課程2年間の指導ができないこともあり、もともと希望していた合成の研究を行っている神原周の研究室に移籍した。講座にいる3人の助手のうち1人が手がけていたテーマから派生した研究に取り組んだ。博士後期課程2年のころは、企業に就職することはもう無理だというプレッシャーを感じて将来に対する不安があったという。1966年に「共重合体のブロック鎖に関する研究」で工学博士を取得している。
※この「東工大学生時代」の解説は、「白川英樹」の解説の一部です。
「東工大学生時代」を含む「白川英樹」の記事については、「白川英樹」の概要を参照ください。
- 東工大学生時代のページへのリンク