東尾根へのロープウェイ構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 04:25 UTC 版)
「横通岳」の記事における「東尾根へのロープウェイ構想」の解説
昭和30年代後半から40年代にかけての高度経済成長期に、東山麓から東尾根にロープウェイを架ける計画が検討されたが立ち消えとなった。1987年から山麓の安曇野市穂高町牧地区の大助小屋(標高911 m)と大峠付近の尾根までの標高差1,064 m、全長4,350 mを結ぶロープウェイ計画が再スタートした。川崎製鉄を中心に山麓の穂高町牧地区一帯の開発を進めている西穂高開発、穂高カントリー、穂高温泉開発公社などと穂高町が共同出資の会社を設立する方針で、建設地点の尾根に「ふるさと展望台」や「大峠展望台」という名称が検討されていた。終点駅には展望台2箇所と高山植物園、ボタニカルアート館(植物博物館)、穂高神社中宮を建設する計画があった。1989年8月に計画が表面化した後、山岳雑誌などにも取り上げられ、穂高町には開発反対の手紙が数通寄せられた。開発予定地は地元の山林組合所有のカラマツの植林地で、終点は中部山岳国立公園の境界線にかかっていた。自然保護の観点などから実現には至らなかった。
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