東アフリカ帝国副王
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「ロドルフォ・グラツィアーニ」の記事における「東アフリカ帝国副王」の解説
1936年6月11日、東アフリカ帝国の総督職である副王に就任していたバドリオ元帥が本国帰還を希望したため、グラツィアーニが第2代副王となった。 東アフリカ属州の副王として、グラツィアーニはエチオピア正教会の信徒やエリトリア系住民の暗殺未遂事件に直面した事から北アフリカ時代と同じく徹底した武断統治を行った。一説に3万名以上の現地人を反乱者として処刑したとされ、やがて一東アフリカ殖民州でも「屠殺者」の渾名で恐れられるようになった。治安回復という点でも北アフリカと同様の成果を挙げたが、ファシスト政権で植民地統治を穏当に進める方針が新たに策定されると武断統治は議論の対象となった。1937年12月21日、サヴォイア家の一族であるアオスタ公アメデーオ・ディ・サヴォイアが第3代副王として送り込まれ、グラツィアーニはイタリア本国に帰還した。 帰国後の1939年には論功行賞として陸軍参謀総長に推挙され、陸軍の総司令官となった。
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