村上神
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「佐志能神社 (石岡市染谷)」の記事における「村上神」の解説
村上神は、『日本三代実録』の巻第四十八、仁和元年9月7日戊子(885年)の記述に「授常陸国従五位上羽梨神正五位下、従五位下村上神従五位上」とあり、羽梨山神社とともに従五位上に昇叙した。羽梨山神社は「延喜式神名帳」の常陸国茨城郡三座(並小)の一社である。なお『日本三代実録』には郡名の記載はない。『新編常陸国誌』は「郡郷考(常陸国郡郷考)」「旧地考(常陸旧地考)」「答問説」等の諸文献に基づき、村上神を村上佐志能神社に比定している。 往古、竜神山の東麓一帯を村上村といい、染谷村は村上村の分村として成立した。『新編常陸国誌』に(村上村は)「古へは大村なりしよし、里人云伝ふ、村上千軒など女童の口ずさみにも云あへり」「染谷村の人の話に、我染谷村は、古へ村上村の内にて、染屋職の者の多く住居たる故、染屋と云しを、いつの頃か今の如く染谷と書かへたる也といへりき、染谷村の村上村の小名なることは、染谷村にも伝へたること疑ひなし、と云るが如し」とある。江戸初期の元禄検地には両村の記載がある。 染谷社の社伝では、分村の際、「村上神」が染谷村の村域に入ったため、村上村で新たに村上社を創祀したという。一方、『新編常陸国誌』は「今按に新治郡村上村染谷村の龍神は、両方ともに村上神也、そは村上村の村上神也、さて此村上のうち染谷の方にも、斎祭たるものなり」と、染谷社は村上社の分社としている。いずれにしても、染谷村上の両村が古くは一社の「村上神」を奉斎していたという認識は共通している。 『大日本地名辞書』に「村上とは、蓋湯津石村の神の義なり」とする考察がある。古事記の神産みの神話で、伊邪那岐命が十握剣で迦具土神の頸を斬った時に、「御刀前之血」及び「御刀本血」が「湯津石村」にた走り就き、6柱の神を産んだ。同書はさらに闇龗神を「湯津石村」にた走り就いた血から化生した神とし、闇龗神は龍蛇神とされていることと合わせて、龍神信仰と関連づけている。 村上神を蛇神とする伝承は、『標注古風土記』の那賀郡の「哺時臥之山」の注に「峨眉 小説云、今、新治郡茨城村西北二里許有村上村、其山上有村上龍神社、里俗相伝、上古所祭小蛇祠也」と記録されている。上古、村上神は蛇神を祀る「小蛇祠」だったという。また『新編常陸国誌』の中山信名による補筆部分 に、『常陸国風土記』に蛇神に関わる伝承が記録されている「哺時臥之山」は竜神山であって、誤って那賀郡茨城郷の条に収められたものではないかという考察がある。ただし、一般には「哺時臥之山」は水戸市、笠間市、城里町の境界にある「朝房山」に比定されている。
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