李靖の戦術
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常勝を誇った李靖の戦術の基本は、騎兵の機動力に依存した長距離奇襲戦法であった。敵の思いもよらない方角から攻め込んで混乱させ、敵が逃げる方向を正確に予測して伏兵を置き、挟撃して殲滅するという戦法によって、李靖は味方の兵が敵より少ない場合でも常に勝利を収めた。その鮮やかな勝ち方から、中国では李靖をして史上最高の名将とする書籍が多い。 この戦法は、馬の運用に長けた遊牧民族との戦いにおいても有効であった。遊牧民族の戦法は、機動力に優れた馬上から相手との距離を一定に保ちつつ弓を射掛けるというものであったため(パルティアンショット)、敵陣に切り込めば案外たやすく退却することが多かったからである。とはいえ、敵の逃走する方角を正確に予測する李靖の戦略眼は、同時代においては突出していたと言える。 この機動力に重点を置く李靖の兵法は『李靖兵法』などの書物にまとめられ、後世の兵法の発展に絶大な影響を与えた。中でも『李衛公問対』は武経七書の一つとしてもよく知られている。 『李衛公問対』によれば、李靖は陣形については諸葛亮の影響を受けており、騎兵の運用については曹操の影響を受けているようである。また同書によると、李靖は正攻法と奇策の変幻自在の運用を目標としているが、軍勢の分散・集合を究めるまでに正攻法と奇策の変幻自在の運用を究めたのは孫武のみであるとしている。また同書によると、李靖は「防御力・輸送力に秀でた戦車(偏箱車・鹿角車)は用兵の要である」として馬隆を称賛している。
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