李香蘭と上海音楽協会交響楽団
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「上海交響楽団」の記事における「李香蘭と上海音楽協会交響楽団」の解説
太平洋戦争末期の1944年10月、上海新聞連合会、工商連合会、市民福利協会などが合同して、「英米艦隊駆逐祝賀会」が行われ、上海音楽協会交響楽団が、日本から呼び寄せられた服部良一指揮で演奏した。一方で、中国人市民は長い戦争に倦み疲れ、日々の憂さを吹き飛ばしてくれるような「明星」(スター)を求めていた。そこで日本側は、人々に広く愛された李香蘭のヒット曲「夜来香」を用いて、「夜来香(イエライシャン)ラプソディー」を企画した。服部が「夜来香」をシンフォニック・ジャズにアレンジし、上海交響楽団をバックに歌わせた。1945年には「上海市政府交響楽団」に改称し、同年6月に映画館「大光明大戯院」(グランドシアター)で開かれた音楽界は連日超満員となり、熱狂した中国人聴衆が、曲中の李のセリフに誘われ、舞台の上に上がってくるほどだった。
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