木部姫の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/17 20:08 UTC 版)
木部城の背後にある榛名山の山頂には榛名湖があり、戦国時代に武将の姫(妻)が入水したという伝承がある。この伝承は、榛名湖に避難していた姫が、武将が戦死したとの報せをうけて入水し、龍神となって農民に恵みの雨をもたらすようになった、という筋書きになっている。この武将と姫が誰であるかはいくつかのバリエーションがあり、木部氏とその妻(娘)の木部姫とする筋立てが有力な説の一つになっている。 もともと、木部氏の妻は長野業正の娘である。この娘は、母(長野氏の妻)が榛名湖に参詣した際に懐妊したと伝わり、龍神の血をひく姫だとされる。そのため入水したあと龍神に化身したのだという。 江戸時代になると、榛名神社で榛名湖の湖水をくみ、田畑へ撒くと雨が降るという雨乞い信仰が関東一円に広まった。特に埼玉県を中心にこの信仰が盛んで、各地の村では毎年村の代表をたてて榛名神社へ参詣するようになった。これを榛名講という。木部城があった木部村は、榛名湖の龍神と特別なつながりがあるとみなされており、木部村の住民はしばしば他村の榛名講の代理人を依頼されたという。 伝承では、木部姫が入水したあとその腰元たちも後を追ったといい、木部姫は龍神となり、腰元たちは蟹(かに)に化身したと伝わる。これを腰元蟹という。腰元蟹が湖水に落ちる葉や湖中の藻を掃除するので、榛名湖の水は常に清らかだと伝えられている。これは腰元蟹が木部姫のために榛名湖を清めているとも、入水した木部姫を探すために落ち葉の下を探しているのだともされる。こうしたことから、木部城のあった木部町では蟹を食することへの禁忌が伝わる。 なお、榛名湖に入水した姫についてはさまざまな異説があり、埼玉県蕨市にあった蕨城城主の渋川義基とその妻「龍體院」とする伝承や、近傍の長者の娘だったとする伝承もある。 詳細は「榛名湖#榛名湖と信仰」を参照
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