木曽ダム建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 07:20 UTC 版)
太平洋戦争後、1951年(昭和26年)5月1日実施の電気事業再編成では、寝覚・上松両発電所はほかの木曽川の発電所とともに供給区域外ながら関西電力へと継承された。日本発送電設備の帰属先を発生電力の主消費地によって決定するという「潮流主義」の原則に基づき、木曽川筋の発電所が関西電力所管となったことによる。 関西電力発足後、木曽川中流部においては再開発が進められ、下流側から山口発電所(1957年)・読書第二発電所(1960年)が相次いで建設された。これに続いて、中流部の水路式発電所5か所(寝覚・上松・桃山・須原・大桑)に関する再開発が計画され、この区間における河川利用率を向上させるとともに尖頭負荷発電所として運用させるべく、木曽ダムならびに木曽発電所(出力11万6,000キロワット)の建設が進められ、1968年(昭和43年)に竣工した。ダムは木曽川との合流点直上の王滝川に位置し、水路は既設発電所群の水路の山側(西側)を通り地下式の木曽発電所を経て大桑発電所直上に設けられた放水口に至る。 この木曽ダム開発に伴って、前述の通り寝覚発電所は王滝川からの取水を木曽発電所と共用の木曽ダムへと切り替え、小川の取水堰も同発電所との共用としている。
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