朝熊山ケーブルカー跡と登山バス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:52 UTC 版)
「朝熊山」の記事における「朝熊山ケーブルカー跡と登山バス」の解説
1925年(大正14年)に伊賀軌道を設立した田中善助が社長を務めた朝熊登山鉄道によりケーブルカーが開通したほか、1938年(昭和13年)に内宮前から登山バス用道路(未舗装)が作られ、朝熊山へ登る人が激増した。第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)にケーブルカーの線路が軍に軍需物資として徴収されたため休止になった。一般の朝熊山への入山が禁止され金剛證寺は衰退した。開通時には東洋一とされたケーブルカーは、第二次世界大戦後に再開されることなく1962年(昭和37年)に正式に廃線となっている。当時の線路の敷石と山頂駅などが廃墟として現在も残っているが、山頂駅跡は2006年(平成18年)に鉄条網で囲われ近寄れなくなった。 第二次世界大戦後に三重交通により登山バスが再開されたものの、ケーブルカーに及ばない輸送力では参拝客を取り戻せなかった。伊勢湾台風などで被害を受け金剛證寺は衰退の一途を辿ったが、1964年(昭和39年)の伊勢志摩スカイライン開通後には客足を取り戻し復興した。登山バスは伊勢志摩スカイライン開通に伴い路線を廃止。伊勢志摩スカイラインを経由する路線に引き継がれたが、再度廃止後、土休日のみ参宮バスとして復活している(後述)。
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