有職料理の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 09:17 UTC 版)
江戸時代初期、徳川家光が行った二条城での後水尾天皇御成行事の際、天皇家側の料理人2名(高橋家、大隅家)、徳川幕府側の料理人2名(堀田家、鈴木家)の他に京都の町方の料理人から生間(いかま)家が抜擢されて調理に携わったことから、生間家は八条宮家の料理人をその後代々拝命することになる。明治時代になり桂宮家(八条宮家の後裔)が子孫断絶により絶家したため、生間家も下野し、その料理法は京都の民間の限られた料亭に伝えられた。 現在、宮中でも皇族の結婚式などの中継で会席料理などとは大きく異なる盛りつけの日本料理が見られることから、生間家が伝えた物とは別の有職料理が伝えられている物と思われるが、外国要人などの接待にはもっぱらフランス料理が使われており、限られた儀式でしか食べられない物のようである。
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