最後の知事選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 06:24 UTC 版)
1999年の知事選挙は伊賀にとって最後の知事選となった。戦後の愛媛県政史上、35年の長期にわたり磐石を誇った保守一枚岩の体制が崩れ、自民党県議団は伊賀派と反伊賀派に分裂した。自民党県連執行部が現職である伊賀を推さず、共産党以外の野党が県政刷新に向けて自民党と手を結ぶというイレギュラーな構図で、保革あい乱れ5人が立つ、激戦となった。県選出国会議員も越智伊平を除くすべての議員が反伊賀派に回った。 また、県の関係団体をフル稼働させた選挙運動はもちろん、県から市町村長に対し伊賀知事名で依頼文書が送付されるなど、エスカレートした。結局、反伊賀派が推す新人の加戸守行が現職の伊賀に18万票余りの大差をつけて当選した。 県選挙管理委員会は知事選投票日を1月3日に設定、史上稀な年末年始の選挙戦となり、不在者投票が多数に上った。県議会は、県選管の問責決議案を可決した。日程も含めて異例な選挙であった。 新たに知事となった加戸も伊賀を推した農業団体、特に農協トップの姿勢にことのほか厳しい姿勢を見せ、選挙戦のしこりが残ったことを認めている。
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