最後の統一とスウェーデンへの割譲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 08:53 UTC 版)
「ポメラニア公の一覧」の記事における「最後の統一とスウェーデンへの割譲」の解説
1625年、ボギスラフ14世は全ポメラニアを統一した。しかし、彼は1637年に後継者を残さずに死去し、同年スウェーデンがフォアポメラニアを占領した。この占領は1648年のヴェストファーレン条約で正式に承認され、スウェーデン領ポメラニアが成立した。またラウエンブルク=ビュートウは1637年から1657年までポーランド領となり、東部地域にあたるヒンターポメラニアは神聖ローマ帝国が消滅する1806年までブランデンブルク選帝侯領となった。その後、スウェーデン領のフォアポメラニアもプロイセン王国に併合された。
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