晩年・ノーベル文学賞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 02:18 UTC 版)
「ハロルド・ピンター」の記事における「晩年・ノーベル文学賞」の解説
2002年、食道癌に冒されていることを明らかにし、その後も闘病を続けた。2005年2月、劇作家から引退し、反戦を訴える政治活動に専念する事を表明した。同年ノーベル文学賞を受賞したが、医者にブラジル先住民の風土病である重度の皮膚疾患に感染していると診断され、授賞式に出席できなかった(ちなみに、ピンターはブラジルに一度も行ったことはない)。そのため自宅で記念講演を収録し、ストックホルムで行われた授賞式では録画テープが上映された。記念講演は、『ガーディアン』紙に全文掲載されたが、BBCには完全無視された。劇評家のマイケル・ビリントンは、ピンターに「イギリスでは、ノーベル賞授賞講演は衛星放送では同時刻に放映され、『ガーディアン』には講演の全文が掲載されました。しかし、私の知る限り、それはBBCテレビではほとんど採りあげられませんでした。これには驚きましたか」と質問した。ピンターは、「ほとんど採りあげられなかったのではありません。BBCは、講演を徹底的に無視しました。(BBCにとって)そんなことは起こらなかったのです。BBCが講演を無視したのは、政府との共謀によるものだと主張する人がいます。私はそうは思いません。こういう共謀説には、私は賛成しないのです」と答えた。 2008年12月24日、78歳で死去。
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