晩年‐死去まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 13:58 UTC 版)
引退後は、秦野市の自宅で宝飾デザインを始め、個展を開くなどした。1993年2月19日にキャピトル東急ホテルで、森繁久彌を発起人(葬儀委員長)とする生前葬を華やかに行い、続けて翌日の78歳の誕生日に「復活祭」を行い関係者を驚かせた。翌1994年、映画『女ざかり』(大林宣彦監督)への特別出演が最後の映画出演になる。1995年にはNHKのテレビドラマ『水辺の男 リバーサイドストーリー』に出演した。 晩年は、2004年5月26日にテレビ朝日系で放送されたテレビ番組「時代を作った女たち」に生前葬以来11年ぶりにテレビ出演をした以降は、乗馬の際の怪我で車椅子生活となり、障害者手帳の交付も受けた。マスメディアの取材も受け付けず、毎回楽しみにしていた松竹歌劇団OG会にも一切出席することなく、ほとんど隠居的な生活を送っていたという。 2009年11月16日、老衰により神奈川県内の自宅において94歳の生涯を閉じる。21日に訃報が伝えられた。生前葬を行っていたため、公にお別れの会などは催されなかった。その死に際しては森光子が少女時代に観劇した『タンゴ・ローザ』の思い出などを絡めた惜別の辞を送った。同年の毎日映画コンクールにおいて、瀧子の6日前に死去した森繁久彌と共に「特別賞」を贈られた。
※この「晩年‐死去まで」の解説は、「水の江瀧子」の解説の一部です。
「晩年‐死去まで」を含む「水の江瀧子」の記事については、「水の江瀧子」の概要を参照ください。
- 晩年‐死去までのページへのリンク