昭和48,49年のインフレーション
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:31 UTC 版)
「日本の経済論争」の記事における「昭和48,49年のインフレーション」の解説
今日まで続く、標準的経済学と日本銀行の理論(日銀理論)の相克(マネーサプライ論争)の元祖とも言うべきもので、1973-1974年にかけての日本経済の狂乱物価の原因をめぐって争われた。この狂乱物価は、第1次オイルショックのために生じたとされるのが一般的であろうが、経済学界においては、上記の原因に加えて、田中角栄内閣による金融緩和圧力を受けた日銀が、マネーを過剰に供給しすぎたことに由来すると考える向きが多い(それ以外に、相場制の激変期に際して、日銀が円高圧力を吸収しようとしたことが、過剰流動性を生んだとする考え方もある)。 日銀によるマネーサプライ管理の有責性が問われた中で、マネタリーベースの操作性を否定しようとする日銀に対し、「日銀はその操作を通じてマネーサプライを適正な伸びに抑えるべき」との主張が小宮隆太郎や堀内昭義によってなされた。結局、日本銀行側はマネタリーベースの操作性を公には認めなかったが、1970年代後半-1980年代前半の安定成長期においては、マネーサプライの管理にも一定の配慮をしていたものと思われる。
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