「昭和48,49年のインフレーション」 〜1970年代〜
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 09:21 UTC 版)
「小宮隆太郎」の記事における「「昭和48,49年のインフレーション」 〜1970年代〜」の解説
今日まで続く、標準的経済学と日銀理論の相克(マネーサプライ論争)の元祖とも言うべきもので、1973年-1974年にかけての日本経済の狂乱物価の原因をめぐって争われた。この狂乱物価の原因について、世間の認識としては第1次石油危機によって生じたとするのが一般的だが、経済学界においては、上記の原因に加えて、田中角栄内閣による金融緩和圧力を受けた日銀が、マネーを過剰に供給しすぎたことに由来すると考える向きが多い(それ以外に、相場制の激変期に際して日銀が円高圧力を吸収しようとしたことが過剰流動性を生んだとする考え方もある)。日銀によるマネーサプライ管理の有責性が問われた中で、そもそもの話としてマネタリーベースの操作性を否定しようとする日銀に対し、「日銀はその操作を通じてマネーサプライを適正な伸びに抑えるべき」との主張が小宮や堀内昭義によってなされた。結局、日本銀行側はマネタリーベースの操作性を公には認めなかったが、1970年代後半-1980年代前半の安定成長期においては、マネーサプライの管理にも一定の配慮をしていたものと思われる。しかし、1980年代後半のバブル経済進行の過程において、再びマネーサプライの管理は忘れ去られ、その点をめぐって90年代前半には、岩田規久男ら経済学者と翁邦雄ら日銀官僚との間で大論争が巻き起こることになった。
※この「「昭和48,49年のインフレーション」 〜1970年代〜」の解説は、「小宮隆太郎」の解説の一部です。
「「昭和48,49年のインフレーション」 〜1970年代〜」を含む「小宮隆太郎」の記事については、「小宮隆太郎」の概要を参照ください。
- 「昭和48,49年のインフレーション」 〜1970年代〜のページへのリンク