明軍参戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:42 UTC 版)
7月16日、明軍が到着し、明軍副総裁・祖承訓率いる遼東の明軍5000兵が平壌を急襲したが、これを一番隊の小西行長らが大いに破った(第一次平壌城の戦い)。 明軍の参戦を受けて、日本軍は、諸将の合議の結果、年内の進撃は平壌までで停止し、漢城の防備を固めることとなった。 他方、明朝廷は祖承訓の7月16日の平壌戦の敗北という事態に、沈惟敬を代表に立て、日本軍に講和を提案。以降、日本と明との間に交渉が持たれることになる。 7月29日、朝鮮の将金命元(都元帥)率いる朝鮮軍1万人あまりが平壌を攻撃したが、これを一番隊の小西行長らが大いに破り、朝鮮軍は多くの損害を出し撤退した(第二次平壌城の戦い)。
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