旧大枝村、大原野村
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「京都市西京区の町名」の記事における「旧大枝村、大原野村」の解説
公称町名町数大枝沓掛町、大枝北沓掛町一丁目〜七丁目、大枝塚原町、大枝中山町、大枝西長町、大枝東長町、大枝西新林町一丁目〜六丁目、大枝東新林町一丁目〜三丁目、大枝北福西町一丁目〜四丁目、大枝南福西町一丁目〜三丁目 10 大原野北春日町、大原野南春日町、大原野西境谷町一丁目〜四丁目、大原野東境谷町一丁目〜三丁目、大原野西竹の里町一丁目〜二丁目、大原野東竹の里町一丁目〜四丁目、大原野上里北ノ町、大原野上里南ノ町、大原野上里紅葉町、大原野上里勝山町、大原野上里鳥見町、大原野上里男鹿町、大原野石見町、大原野灰方町、大原野石作町、大原野上羽町、大原野小塩町、大原野外畑町、大原野出灰町、大原野東野町 20 乙訓郡大枝(おおえ)村は、明治22年(1889年)に沓掛村、塚原村及び長野新田村が合併して成立し、旧村名は大字名になった。昭和25年(1950年)の京都市右京区(当時)編入に際して、大字沓掛は大枝沓掛町に、大字塚原は大枝塚原町及び大枝中山町に、大字塚原(編入後 大枝中山町)を挟んで東西に分かれていた大字長野新田は岡新田(旧葛野郡岡村 枝郷)及び千丈(新田)が大枝西長町に、長野新田が大枝東長町になった。小字名は全て廃して番地制に替えられた。その後洛西ニュータウン、桂坂ニュータウンの開発に伴い、以下の町名が新設され、「大枝」を冠称する町名は計10となっている(「丁目」を有するものは全体を1町と数える)。 (昭和50年成立)西新林町一丁目〜六丁目、東新林町一丁目〜三丁目、北福西町一丁目〜四丁目、南福西町一丁目〜三丁目 (昭和61年成立)北沓掛町一丁目〜七丁目 旧乙訓郡大原野村は、昭和34年(1959年)京都市に編入され、当時の右京区の一部となった。大原野村には大原野、石見上里(いわみかみざと)、上羽(うえば)、灰方、小塩、石作、出灰(いずりは)、外畑(とのはた)の8の大字があった。このうち、大字大原野は大原野北春日町、大原野南春日町の2町に、大字石見上里は大原野石見町、大原野上里上ノ町、大原野上里下ノ町の3町に編成された。残余の6大字はそれぞれ大原野上羽町、大原野灰方町、大原野小塩町、大原野石作町、大原野出灰町、大原野外畑町となった。その後洛西ニュータウン等の宅地開発に伴い、以下の町名が新設され、「大原野」を冠称する町名は計10となっている(「丁目」を有するものは全体を1町と数える)。 (昭和41年成立)上里男鹿町、上里勝山町、上里鳥見町、上里紅葉町 (昭和50年成立)西境谷町一丁目〜四丁目、東境谷町一丁目〜三丁目、西竹の里町一丁目〜二丁目、東竹の里町一丁目〜四丁目 (昭和51年成立)東野町
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