日立・東大
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「タイムシェアリングシステム」の記事における「日立・東大」の解説
(高橋ら『オペレーティング・システムの機能と構成』第4章§4より) 東京大学大型計算機センターにHITAC 5020を納入した日立において、同機のモニタを開発した高橋延匡らは、Multicsの発表に、特に2次元番地付け方式の仮想記憶に刺激を受け、これを実現したTSSの開発を構想した。中研の上司村田健郎、中沢喜三郎、嶋田正三らのリーダーシップにより、ただちに着手する必要があると判断され、1966年4月にプロジェクト研究が発足した。 (今日で言うところの)ヒューマンマシンインタフェースの難しさと重要性に鑑み、プロジェクト発足当初より東京大学高橋秀俊研究室と交流し、1966年9月より正式に共同研究を開始した。 プロジェクトの24ヵ月で第一バージョンを完成し、1968年3月末、2次元番地付け方式のTSSとしては世界初の稼動となった。また、高水準言語(PL/IのサブセットPL/IW)によるOSの記述にも成功している。 また、高橋秀俊の示した8箇条、「人間は気まぐれである」〜「人間は何をするかわからない」(趣旨を説明した文章を電気通信学会雑誌に載せたものの引用が http://www.iijlab.net/~ew/know_thyself.html で読める)は、OS構築に際して対話処理の問題の扱いにおいて、大いに参考となった、としている。
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